溝

　
　
　言葉が、上滑りしているのがわかった。何を言っても伝わりそうにない。
　嘘だ、と思った。
　とても上手な嘘だと。
　真実を伝えるためにはこれ以上の言葉がない、と思っているのに、口に出した先から自分の言葉を自分で疑ってしまっている。何度言っても気持ちがついていかなくて、そして皮肉にも、その気持ちがついてきていないことの方は、わかってしまっているようだった。
　遠い。
　電話口の向こうは１千キロ先なのだと思った。
　沈黙したらだめだと思った。くだらない話でもしていたかった。
　この絶対的距離を埋めるものは言葉しかないのだとわかっていて、私は
　沈黙した。
　それで何が伝えられるわけでもないと、わかっていた。
　ただ、もう、ただただ、伝えようとする言葉の無力さに、疲れただけだった。いま、もし、からだがあったなら、私は迷いもなく抱きしめていただろう。肌という肌をこれ以上ないくらいに触れあわせていただろう。そうしたら、触れた肌から体温とか匂いとか、肌触りとか心音とかで、いくらかこの不安を取り除けるに違いないと思った。
　これまでもそうだったし、これからもそうだと思っていた。
　
　でも今の沈黙は、どうしようもなかった。もう引き返せないと思った。
　今すぐにでも電話を切らなければならない。
　このひととはもう、関わりたくない。
　静寂の向こうで、ほんとうに私の言葉を待っていてくれているのだろうかと思った。神経をすり減らしてまでこのひとを引き止める意味は無いように思われた。三時間もの時間と電話代を返してほしいと思った。最後の言葉を言うのさえ偽善者ぶった行為に思えてならなかった。
　複雑な事情が絡み合ってこうなってしまったのだと、そう思いたかった、でも原因はいたってシンプルだということがわかった。その確信が憤りになり、やがて諦め、すべてを無かったことにしようと決意するのに経過した時間は、わずかだった。
　
　もう、いいよ
　もう電話しないし会いたくない
　
　その言葉は、三年という月日がつくりだした義理と礼儀からのものだったが、今はじめてちゃんとした言葉を言えた気がして、そうして私は受話器をおいた。いつもだったら、かけてきてくれた。でもかかってこなかった。やっぱり、それっぽっちの存在だったんだな。と思ったら息が詰まった。
　なんだ、簡単だな
　そう思ったら涙が出た。