そういういいかた

　
　
　
　内側から鍵を閉めたいという衝動に駆られ手をかけたがやめた。鍵をかけたところで立入禁止を意味するわけではない、ポットから白湯を注いでひと飲みし、ぬるい、と思うと同時にまた同じため息をついてしまった。事務用イスに浅く腰掛け壁を埋めつくす古典全集を眺めたが、古事記、源氏、雨月、葉隠、と字面を追っているうちに彼女の言葉が思い出され
　うるさい
　と口にした自分の言葉が、狭い研究室から暗い廊下に響いたような気がした。
　原稿と再び向かい合いカタカタとキーボードを叩いて何行か埋めたが、すぐに消えた。
　
　 　
　出ていってくれ、と言えなかった。彼女は原稿を打ち出す画面に釘付けになっていた自分のくびすじに背後から冷たい手を当てて驚かせ、びっくりした？と笑った。偶然そうに入ってきたがおそらく自分を探していたのだろう、他愛ない話をしながらそう思った。その嬉しいような思いと、裏腹に彼女を邪魔に思う気持ちを抱えて、くだらない話で終わりにしておくべきだったのだ。
　いつもなら笑ってやりすごせた。彼女と自分の考えが多少違ったところで、それはそれで構わないと思っていた。その突き放した物言いも少し軽蔑したようなからかい方も、別にどうってことなかった。気に入ってさえいた。中間発表まで一週間を切って気が立っているだけだ、そう思おうとしてしかし、いらだつようなため息を呑み込んだ。そして代わりに、何度も思ったが口にはしなかった言葉を出してしまった。
　そういういいかた、嫌い
　きらい、と自分の言葉を頭の中で反芻していた数秒、沈黙が流れた。
　彼女の少しくせのある前髪、長いまつげ、くちびる、頬の輪郭を視線で辿り、軽い拒絶に驚いている彼女をやっぱり好きかな、と思ったが、彼女が無頓着に笑って話を始めたことで一度ずれてしまった気持ちは、もう二度と戻らなかった。
　彼女に背中を見せ画面に向かい、原稿の内容など全然考えてはいなかったが、考えているふりをして気のない相槌をうった。もう何を言ってもかみ合っていない気がした。もう違和感しか感じられなかった。土足で踏みにじられたような嫌な気分がどんどん広がり、どうしてそれが彼女に伝わらないのかといらつきはじめてようやく、じゃあ、と短い別れを告げて彼女は出ていった。
　
　
　ひどく疲れた。
　人ひとり相手にするのが苦痛でしかなかった。
　刺さるように降り注ぐ蛍光灯の光りが目に入り、不快な気持ちが湧き上がった。これが場所を知らせたか、パチリと電気を切ると画面が浮かび上がった。
　自分の後ろに、寂寞とした深い影ができていた。