スープ

　
　あまりに眠り続けると人は時間の感覚を失う。
　この狭い部屋にはベッドとオーディオといくつかのヴィデオテープしかないのに、全て事足りている様に思えた。でも、三日前に二人でつくったスープは、もうすぐなくなる。そしたらきっと帰っていってしまうんだな、と思った。
　カーテンの隙間からかろうじて差し込んでくる光は、真っ昼間であることを示していたが、薄暗い部屋を僅かに明るくしているだけだった。じーわじーわという蝉の声。すうすうという八坂の寝息と入り混じって、耳の奥に残るに違いなかった。
　ここちよい脱力感。
　触れ合わせた肌から体温が伝わる。生暖かいシーツにふたりで包まれていると、なにもかも許されたような気になれた。さらさらと黒髪を撫でてゆびで漉かせる。零れていく。
　わずかな罪悪感が、甘い汁をつくるのだ。なにもかも、なんて、オコガマシイ、
　
　怖いかお、
　目を覚ました八坂は、ひとことめにそう言ってゆっくりと笑った。しかたなさそうに笑っていた。その顔がいとおしくて、そうさせているのは私なのに、そのことに陶酔してしまいそうだった。
　十五夜に帰るなんて、かぐや姫みたい
　お迎えがないけどね
　お見送りなら玄関までしてあげる
　不意に泣きそうになって、顔を見せまいと立ち上がり、キッチンに向かった。暗い部屋に、青白いガスの灯り。スープを温める、ガスの燃える匂い。食べ物が温まる匂い。そういうことが、時間感覚を狂わせる。
　ずっとこのままで居られるような錯覚。
　なんだろう、この嘘みたいな幸福感。
　淋しさと切なさが入り混じって、それでいて、満たされている。
　くるくるとおたまを回しながら、眺めていた。そうしたら、八坂は近づいてきて後ろからそっと抱きしめてくれる。
　どうしたの？
　飽きないもんだな、と思って
　このスープ？
　いやこういう生活。
　
　生活というには短かすぎたし、それが二度とないものだからだということも私は充分にわかってたつもりだった。眠って抱き合ってぼーっとして、また眠る。次の機会なんてない。こういう時間がまた過ごせるとしたら、それはもう別の恋をしたときだろう、と思った。
　それが日常になることはありえないし、きっと私も八坂も、これを日常にしたいとは思ってない。
　小さなスープ皿にとりわけて、小さなテーブルに置く。
　ふたりで並んで食べる。
　
　食べ飽きた？
　ん、少し
　毎食じゃ、ね
　ま、ね
　
　「じゃあ、次回はなんか別のものをつくろうか」という言葉を、きっといま、二人して呑み込んだのだと思う。言葉がどんどん沈殿していって、こころの底で渦巻いている。でも今はそれを見るのを避けようと思った。
　もう少し、このままでいたかった。
　
　スープで少しだけ、あたたまる。
　まだ私は救われている。